0.はじめに
まず断っておくが私は発想力がとんとない。小学校の自由研究とか、図画工作とかは本当に苦手だった。アイデアが出ないし、いわゆる「創造豊かな発想」自体に楽しみを見いだせなかった。代わりに暗記でどうにかなる勉強は人並みにできた。
現在の教育改革を見るに目指しているのは、新たなアイデアを生み出す人間か、それ以外の強みを持つ人間か、おそらく前者であろう。
さて本論行では最終的には発想力のない人=”凡人”も社会では必要なのだということを述べるのだが、そのために別の話題に触れなければならない。お付き合い願いたい。なお、以下の1~3の内容は経済思想家の倉本圭造の『新しい意識高い系をはじめよう』という連載を参考にした。
1.winny事件
この記事を書くきっかけとなったのは、ゼロ年代前半に社会問題化したwinny事件だ。映画化もされているし、Abemaニュースでも特集が組まれたこともあるので、詳細はそちらを見てくれ。
さて、それらの映画のトレーラーをyoutubeでみると、コメント欄は以下のような言説であふれれいる。
「無知な日本の警察により天才プログラマーがつぶされ、その間にアメリカはyoutubeなどのサービスを支援した」
少なくとも、youtubeの動画上のコメントでWinnyの開発者を逮捕した京都府警を擁護するコメントは少数である。果たしてこの言説は正しいのか。物事を単純化しすぎてはいないのだろうか。
2.私見
思うにWinnyはもっぱら著作物の違法アップロードに使われていた。そしてWinnyはWinMXというサイトがアメリカで著作権者から裁判を起こされ閉鎖となったことを受けて開発されたものであり、開発者自身も違法アップロードに利用される懸念は理解していたはずである。
また、違法アップロードをしたのはユーザーであり、開発者に罪はないという言説もある。だがしかし、これもまた私は違うと思う。車を例にして話そう。乗用車において安全上の懸念ですたれた装備はたくさんある。例えばボンネット上のアンテナなど。そのような、危険といわれていた装備をふんだんに搭載し、その車はもっぱらひき逃げ目的でしか使われておらず、そのことについて社会的な批判が起こり、警察からも幾度となく警告され、それでもなお、殺人犯御用達の車を製造した…これは極端な例かもしれないが、必ずしも開発者が罪に問われないわけではないといえる。
黙認する、道具を与える行為も、十分共犯になるのだ。
3.でだでだ
まーWinny事件自体はそこまで今回の話本筋ではない。
重要なのは、ではなぜyoutubeは問題なかったのか。それは安価にコンテンツを消費したいというユーザーのニーズと、著作権者の利益を両立できたことにある。違法アップロードを通報できるようにし、AIを駆使してそのようなコンテンツを徹底的に排除する。動画投稿者がマネタイズできるように場を整える。Winnyにはユーザー側の論理しかなかったのではないだろうか。
私が京都府警を非難しないのは、京都府警にも正義があるからだ。京都府警が掲げていた正義は著作権の保護。一方、Winnyの開発者の正義、新たな技術を開発し、公開していきたい、これもまた一つの正義としてリスペクト出来る。
「正義VS悪」の構図は子供向けアニメでしか成立しないものだ。実際の社会にある激しい対立はだいたい「正義VS正義」なのだ。先に述べたような「無知な国家権力と善なる技術者」という構図は安易な単純化だ。日本のインターネットサービスが世界で戦えるようになるために必要だったのは、ネットカルチャーと著作権者の権利の両立を目指すことなのだったと思う。
また一つ補足をすると、京都府警の対応は過剰なのではないのかと思う。著作権者から被害届は出てなかったし、結果的に裁判確定まで7年の時間を要することになった。著作権を保護したいのならば、著作権者が民事訴訟を起こすという選択肢もある。目的達成のために、他の手段も取れたのではないかと思う。
4.まとめ
倉本は「ベタ正義」と「メタ正義」という言葉で説明する。すなわち、自分にとっての正義=「ベタ正義」だけでは片手落ちであり、自身と対立する様々な正義を理解し協調を図る思想=「メタ正義」を持つことが大切なのだ。Winny事件でいえば開発者は自身の開発した技術を公開するのは結構だが、著作権侵害が起きないように策を講じるべきだったし、京都府警や社会の側でいえば著作権保護を目指すならば、開発者の逮捕以外の方法も取れたのではないか。
この複雑化した社会において、我々に求められるのは自身の主張を他者に受け入れさせるよう論理補強することではなく、対立する他者の正義を理解し、様々な正義をアウフヘーベンさせていく、現実に向き合う大人な態度なのだ。
5.そして本題
現在の社会ではイノベーションが強く要求されている。しかし、イノベーションとは新しい技術をただ単に作ることでは不十分であり、それをどうビジネスに落とし込むかも大切なのだ。この「ビジネスに落とし込む」という言葉は一見簡単なように見えて、この複雑な社会においては非常に骨の折れる作業だ。Winny事件ついて述べたように、他の正義との権利調整を行う必要がある。さらには許認可や特許といった法律的な知識、マーケティング、損益計算といった経済学・経営学の知識、さらにはバイヤーに売り込んだりと営業力、安定的に製品を製造できるようにしたり、サービスを維持したりするための事務的能力も必要なのだ。もちろん、開発を行う人間にもビジネスへの落とし込みについても考える姿勢は必要とされているが、これらを一人で行うのは現実的ではない。ここに発想力のない、事務処理をこなせるだけの”凡人”が活躍できる余地があるのだ。
もっと言えば、昨今文系不要論が取りざたされるが、「イノベーション」を要素分解すれば、そこには文系の知識・仕事が必要とされる余地が確かにあるのだ。
全員が全員発想力豊かな人間だけでは社会は成立しない。私含め発想力のない人間はそのことを理解し、そのうえで自分が活躍できるポジションを見定め、自分が持っていく能力を磨いていけばいい。これが私が思う”凡人”への処方箋だ。